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小林好久さん
大正12年3月4日生まれ
新潟県長岡市柳原町出身

長岡工業専門学校出身

昭和20年7月31日、徳山湾内において訓練中、
敵敷設機雷に触雷・殉職
享年22歳


白井善七様の追憶から一部抜粋
「回天(回天刊行会)」より
「八月二十八日、国鉄長岡車掌区に復職した兄は、すぐ焼け跡を
探し回ったすえ、映画館の映写室のコンクリート囲いに、小林大尉の
厳父・小林美好さんの名札を見つけ出し、お父さんにお会いして
令息の殉職、遺骨の処置などをお話しした。(中略)
大尉は男一人、女二人の三人兄妹だったそうで、母堂はすでに他界して
おられ、令妹の一人も空襲で亡くなられたとのことであった。(中略)
午後四時ごろ(※注釈…九月一日)長岡に着いたが、その荒涼たる廃墟ぶり
に、いまさらのごとく敗戦の悲しみを味あわされた。小林大尉揺籃の
地には、真っ四角なコンクリートの囲いが残されてあるだけで、目路の
限り一つの家、一つの人影もない焼野原がひろがっていた。囲いの
入り口の石段に敷かれたむしろの上に、遺骨はそっと据えられた。
お父さんは苦労して手に入れられたであろう一升瓶の酒を、
大きな茶碗になみなみと注いで、遺骨に手向けられた。
『倅は酒が好きでした。せめて今晩は、あれの代わりに飲んでやって
下さい』と言うお父さんの声に促されて、私たちも茶碗をかたむけたが、
お父さんは終戦にあと十五日、敵艦轟沈という望みも果たさずに
死んで行ったわが子を想って、恐らく二重三重の無念さ、いとおしさを
感じておられたに違いない。だが、お父さんは一言の愚痴もこぼさず
淡々と酌み、淡々として語られる。迫りくる青い夕闇のなかに
私は次第に声を喪い、ただ勧められるままに酒をふくんだ」


追記
小林中尉(殉職後、大尉)の詠まれた御言葉をここに…
「昭和二十年五月二十五日
災難に逢うときは、災難に逢うがよろしく
死ぬときは、死んだ方がよろしく候
これ災難を免るる、唯一の妙法にて候」

死ぬとき、ではなかった。
勿体なかった。
そう思うのです…
【2009/09/08 00:16 】
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